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カナダ生活で感じたこと、考えたこと (Dora's Treasure Box)


by doracanada

国際結婚生活

カナダでは、間もなくサンクスギビング。今年は、いつも集まる先の義姉夫婦がイギリスへ、義母は体調不良で料理をする気になれないと言う。そのため、私たちは我が家でサンクスギビングディナーを作って祝うことにした(といっても、少しだけ)。

今までは、毎年義姉夫婦の家へ出掛けてご馳走になるか、我が家で大した料理も作らず普通に過ごしていた。しかし、カナダの人たちにとってサンクスギビングは家族で祝う楽しい行事。相変わらず私にはピンと来ないが、だからと言って何もしないでは旦那がかわいそうだ。何より、私たちの間に生まれてくる子供は、カナダ人であり日本人。私と旦那が自分の国の習慣だけ積極的に祝っていては、家庭としてよくないだろう。それに、私がカナダでも年末や年始を家族と祝いたいように、旦那だってサンクスギビングやクリスマス、イースターを家族全員で祝いたいに違いない。これまでは旦那とふたりきりだったのでお互いになんとなく過ごしてきたけれど、これからは少し意識しなければと思う。

ところで話は少々変わるが、結婚したばかりの頃、私にとって異国での暮らしは今以上に大変だった。日本の家族や友人に会いたい。日本だったら言葉に不自由を感じず、どこへ行っても自信を持って行動できるのに・・・。ストレスがたまり、旦那に対して「なんで私ばかりが」と不公平に感じることもあった。でも、国際結婚でこれを言ったらおしまいだ。違う国の者同士、どちらかが相手の国に住むか、まったく関係のない第三国に住むしか選択がないからだ。しかし、もし第三国に住んだら、お互いに知り合いもおらず公平だから、幸せになるだろうか?話はそんなに単純ではないと思う。

旦那の家族の集まりに参加すると、私も日本の家族に会いたいと思う。でも決して、私が会えないのだから旦那も会うなとは言う気にならない。家族と食卓を囲み楽しく語り合う時間こそ、人生でもっとも豊かな時間のひとつ。これを旦那から取り上げて私は喜びを感じるかと言えば、そんなはずはない。旦那が家族に会わなければ私が日本の家族に会えるのかと言えば、それも違う。確かに、嫁の私にしてみれば、旦那の実家は行けばそれなりに気を使うところだ。手放しで行きたいと思う場所ではない(苦笑)。でも、そこで楽しそうに笑ったり話したりする旦那の幸せそうな顔を見ると、やはりこれでいいのだと思う。なにも公平・不公平だけで物事を考えることはない。「私 vs 旦那」ではなく、「私たち」で考えるべきだ。それに私は、日本へ帰れば長く滞在できる。1週間なんてとんでもない。最低2週間、長ければ1ヶ月ぐらい(それ以上も可能か?!)実家で過ごせるだろう。これも海外から時間とお金をかけて帰るからこそ(笑)。

誰に押し付けられたのではなく、私たちは私たちでカナダに住む選択をした。だから、今はここでできる限りのことをしようと思う。「もし日本だったら」と考える回数も減った。そして、結果的にそれは私の気持ちを穏やかにし、楽にした。

でも、この選択は絶対ではない。日本の両親はいつも気がかりだし、ふたりに何かあれば私たちが日本へ帰る選択もあり得るだろう。私と旦那の間で、そういう柔軟な部分を残している。だからこそ、私はこうしてカナダで生活していられるのだと思う。日本へ行けば、今度は旦那が今の私の立場になり、この気持ちを経験しなければならないに違いない。帰国の決断をしなければならないときには、そのことを心に留めておくつもりだ。

旦那は、できる限り私の日本に対する想いを理解してくれようとする。その気持ちがあるから、私も彼に対して優しい気持ちになれる(はず〔笑〕)。国際結婚は、異文化間ならではの楽しいことも多いし、悩みもある。でも私は、この人と一緒に生きると決めたことは間違えてなかったと、胸を張って言える。

*****

前回の雑記帳にお知らせを書いたら、BBSのほうにたくさんの方からお祝いメッセージをいただきました。大感激です!みなさん、心温まるメッセージを本当にありがとうございました。

*こちらの公園は、花壇の手入れがよくされています。日没の遅い夏の間は、夕食後に夫婦や親子で仲良く散歩している人たちの姿を見かけますよ。
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# by doracanada | 2004-10-06 03:58 | カナダで思ったこと

日本語って

週末、旦那に付き合ってダウンタウンの図書館へ。すると思いがけず日本語の本がたくさんあって、つい目の色が変わってしまった。旦那の存在を完全に忘れて、しばらく読みたい本探し。2冊だけ借りてきたが、週末の2日でどちらも読み終わってしまった。日本語ですらすら読めるのは、やっぱり楽しい!カナダで何が物足りないって、日本語の本を売っている大きな本屋さんがないこと、少し売っていても値段がどれも高いこと、この2点。次回帰国したら、ぜひゆっくり書店めぐりをしたい。

日本語と英語では、自分の中で訴えかけてくる場所が違うような気がする。私にとって母国語と外国語という違いがあるのだから当然といえば当然だけれど、日本語と英語の性質がそうさせるような気もする。

例えば、先日テレビを見ていたときのこと。日本語を学ぶ外国人が口をそろえて擬態語・擬声語が難しいと言っていた。特に擬態語。「雨がざあざあ降る」ぐらいなら覚えられるそうだが、「木々の葉がさらさらいう」「雪がしんしん降る」などになると、かなり難しいらしい。これらは、同じ文化背景を持つ者同士の間なら、とても便利な言葉だ。日本人なら、これを聞いて葉が風にそよぐ様子、動くものは何もない静まり返った銀世界などが瞬時に、一枚の絵として思い浮かぶだろう。でも違う国から来た人には、なぜ葉が「さらさら」なのか、なぜ雪が「しんしん」なのか、まったくピンと来ないらしい。考えてみれば、確かにそうだろうなと思う。英語ならば、もっと具体的にひとつひとつ言葉で説明するところだろうか。旦那も、私が英語で擬態語(ここだけ日本語)をまじえながら説明すると、おかしそうに笑う。私には、この状態はこの表現以外ない!と思われるから使うんだけどなぁ(笑)。

遠い昔、学校で日本語教育過程を副専攻として取ったときにも思ったが、自国語を第二外国語として教えるのは本当に大変だろうと思う。昔取ったこのキネヅカ(?)が現在まったく役に立っていないことは、うちの旦那の日本語を聞いてもらえばわかる(笑)。とても私には教えられない。生まれてから何気なく使ってきた日本語だけれど、こうしてあらためて見つめなおすと考えさせられることも多い。

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ところで、最後にちょっとお知らせがあります。実はこの度、赤ちゃんができました。現在4ヶ月となり、今のところは順調のようです。今後ともよろしくお願いします。

*週末もさわやかないいお天気でした~。
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# by doracanada | 2004-09-28 10:21 | カナダで思ったこと

歯は大切に

今日も秋晴れのさわやかないいお天気。カナダも暦の上で、昨日から秋になった。来月はサンクスギビングとハロウィーン、そして終わればクリスマス。年末まで、あっという間に時間は過ぎて行くのだろう。あまり気持ちがいいので、今日は、旦那が帰ったら一緒に散歩をすることになっている。

昨日は4ヶ月に1度の歯科検診・クリーニングだった。久しぶりに顔を出すと、みんな私の歯並びが大きく変わったのに驚いていた。カルテに入っていた矯正前の写真を見せてもらったが、確かにあれはひどかった(笑)。矯正終了まで、まだあと1年半かかる予定だけれど、これだけ大きな違いが見られるならその甲斐もある。

しか~し、昨日は虫歯を一本発見(涙)。新しくできたのではなく、今までは歯並びが悪くてレントゲンにも写らなかったらしい。小さいから治療に30分もかからないと言われたが、その場では直してもらえなかった(あくまで検診ということらしい)。予約を取って、明日また行くことになっている。クリーニングはしっかりしてもらったので、すっきりした。

こちらでは、1度治療に行けば必ず1本、2本と完治してもらえる。日本のように1本の治療に何度も通うことがないのでストレスが少なく、その点はいい。私は矯正前、4本の抜歯、7本の再治療をしたが、確か週1回のペースで通って1ヵ月半ぐらいで済んだと思う。

カナダですっかり歯医者さんのお得意になった私。仕事で保険に入っている旦那に大感謝である。もし保険がなかったら・・・、うーん、考えるだけで恐ろしい。

*Q-tips(綿棒のブランド名)で遊んでいるうちに寝てしまったニャン吉です。
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# by doracanada | 2004-09-24 03:51 | カナダ日常生活

喜びは増える

個人的にうれしいニュースがあったので、メールで友達に知らせた。しばらく会っていない日本の友達。文面からは、彼女が我が事のように喜んでいるのが伝わってくる。学生時代からかれこれ10年以上の付き合いになるけれど、小柄で丸顔の彼女が満面の笑みを浮かべているのが見えるようだった。

自分にうれしいことがあったとき、これを一緒になって喜んでくれる人がいる。本当に幸せなことだ。私の場合は、両親、妹、友人、そして旦那。それでなくてもうれしいのに、周りが心から喜んでくれると幸せは2倍、3倍と増えていく。

逆に悲しみは、自分で乗り越えなければならないものだと思う。話せば、周囲の人間は心から同情してくれるだろう。一緒になって悲しんでくれるに違いない。それはとてもありがたいことだ。でも、それで自分の悲しみが半減するのかといえば、そうではない。その重さは変わらず、どんなにつらくても自力ではい上がらなければならないのだ。周りでは、いつもそんな私を温かい目で見守り、応援していてくれる人たちがいる。その事実に感謝し、それを励みに私は立ち直っていく。

結局人生は、自分以外の人との関わり合いがあるからこそ、豊かにも惨めにもなるのではないだろうか。ひとりぼっちで生きていたら、わずらわしいことがないかわりに喜びも少ないだろう。相手に対して思いやりの心をもち、信頼しあえる人間関係を築くことが、心豊かな人生を送る秘訣かもしれない。

私も、誰かの幸せを心から喜んであげられる人になろうと思う。

*天気のいい日は、運河沿いを散歩すると気持ちいいのです。
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# by doracanada | 2004-09-17 02:59 | カナダで思ったこと
長い間雑記帳をお休みしていましたが、今日からブログで復活です。皆さん、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

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アマゾンで購入した『火垂るの墓』のDVDが届いたので、昨日早速旦那と観てみた。うわさに聞いていたとおり、涙なしでは観られないストーリー。戦争孤児となった兄妹の話なのだが、ときに幼い姪や甥の姿が、あるいは昔の私と妹の姿がだぶったりして、胸が痛むような悲しみを感じた。

どんな戦争であろうと、戦いがあるたびにこの幼い兄妹のような子供たちが生まれることは避けられない。それなのに、人間は相変わらず戦いを止めない。愚かだと思う。

先日、9.11から3年の月日が流れた。でも、今も世界のあちこちでテロが見られる。以前観たテレビ番組で、ある国の様子が紹介されていた(中近東の国だったと思う)。そこでは子供たちの通う教室の出入り口の床にアメリカ国旗が描かれ、子供たちはそれを踏みつけたりまたいだりしないと出入りができないようになっていた。また、自爆テロで亡くなった人たちは英雄で、町には彼らの肖像画があちこちにかかげられている。授業中に描く子供たちの絵は戦いに関するものばかりで、日本では考えられないような内容ばかりだった。とにかく、「憎しみ」が徹底して子供たちに伝えられているのである。こんな教育、間違えていないだろうか?輝く未来のある子供たちを大人の価値観で振り回し、あの国は悪い国だからと教えていたら、一体いつ争いがなくなるというのだろう。そこでは、子供たちは大人から憎しみの対象を植え込まれる。それがなければ、彼らは自分の経験で相手を判断していくはずなのに。

世界の人々が仲良く生きていく手段ってないのだろうか。

*カナダでは、そろそろ木々の葉が色づき始めています。
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# by doracanada | 2004-09-16 04:09 | カナダで思ったこと